第8回大学探索レポート



【2015年7月12・13日】


7月12日

ミイゾンの活動は不定期であるとはいえ、さすがに日曜日に活動することはまずない。
にも関わらずこの日に探索があったのは、ちくわが部会で使用した教室の鍵を返し忘れていたためだ。
(時系列は7.8(水)部会→小屋の調査→第7回探索レポート→7.11(土)部会→たんぽぽ荘調査→今回)
その探索も昨日の復習程度の予定だったため、レポートに書くほどのものにはならないと思っていた。
が、驚くべき事実が判明したので以下に記す。

●参加者:ちくわ、ポンタ

例の広場までは前回と同じルートを辿る。
広場に着くとため池横の林に小道があるのを見つけ、折角なのでルートを変えその小道を歩いていく。
その道は舗装されていないが、明らかに人が歩くために作られており、
雰囲気としては昔小川が流れていた場所に落ち葉が積もったようなものだった。

滴る汗を拭い、落ち葉を踏みしめ、どの葉もすっかり夏の様相をした林の中を歩き進んでいく。
蝉がすぐそばで鳴いている。

同じような風景が連続していた。だが突然、その中に変化が生じる。
左手に、黒い門が現れた。




門とは言っても、通常の門の一部分だけを切り取られたようなものだった。
そしてそのそばには縦に細長い石碑が立っており、こう刻まれていた。
「敏達天皇河内磯長中尾陵 宮内庁」
「猥(みだ)リニ兆域内ニ立入ル事ヲ禁ズ」

驚きのあまり、言葉にならない。
自分たちはさっきまで一応大学構内にいたはずだ。
そのはずが、どうしてこんなところに天皇陵への表示があるのか。
元々陵への道があったところに大学が建てられたのか?
それとも大学が建てられてから陵への道が築かれたのか?
頭の中で状況を整理しながら、門の前から横に伸びる道を進んでいく。

道の途中で、何匹もの例の黒いトンボを見た。
これは後から判明したことだが、この黒い羽を持つトンボは正式には「ハグロトンボ」と言うらしい。
そして、またの名を、カミサマトンボ。「死者の魂を運ぶ」という言い伝えがあることがわかった。
昨日、誰かが冗談めかして口にした「黄泉」という言葉が、徐々に現実感を伴い出すような、
そんな雰囲気が漂い始めていた。


この道がどこへ続いているのか。頭の中では薄々気付きつつも、まだ信じられない気持ちがある。
その半信半疑は、角を曲がったその瞬間に、確信へと変わった。



当然といえば当然だが、天皇陵があった。
未だ整理がついていない頭の中から、2ヶ月前に一人でここへ来たときの記憶を引き出す。
そのときは地蔵を探すため一人で大学の周りを歩き回っていた。
地図を見たときに、一番ありそうな場所がここだった。
しかし期待とは裏腹に地蔵は一つも無く肩を落とし帰った記憶、それが呼び起こされる。
あのときは大学からこの場所(正面入口から入った)まで30分近く歩いた覚えがあるのだが、
今回はそれに比べてかなり短い。
初めて歩く道であるため精神的に長く感じるのを差し引けば、実際の距離はもっと短いかもしれない。


単なる寄り道のはずが大収穫があったためひとまず広場まで引き返す。
その途中で積み重ねられた丸太を発見。やはり人がここにくるのだろうか。


そして広場奥の草の壁にあいた小道を通り竹藪に向かう。
昨日帰る前に、次にここへ来たとき調べようと見当をつけていた場所を見てみる。
予想通り、道があった。すぐ横には崖と言っても差し支えない斜面があるため、慎重に進んでいく。






出た場所は山の斜面であったが、少し下るとそこには石が敷かれ完全に人の手がかかった道が現れる。
その道を更に下へと降りていくと、工事現場のフェンスが設置されていた。





開かれていたそのフェンスの間を通ると正面には大きな物置小屋。
それを左に行くと民家と小さな果樹園が見えた。その横には川のようなものも。
恐らく位置的に溺死が見た川もこの川だったのだろう。


ここで今までの場所を簡易的に地図でまとめてみた。
天皇陵へ続く道と、門・石碑の場所はかなり怪しいが、大体このような構造になっていると思われる。



7月13日

●参加者:ちくわ、溺死、PICO

広場から天皇陵へ行けることが判明した翌日、
授業の空きコマを利用し3人で改めて陵へと向かう。


前回来たときよりも日差しが強い。




これが本来の入り口。
裏ルートから来ているため、兆域内から入口へと逆戻りしていく。
入り口には、林の中で見た石碑と同じものが置いてあった。


広場まで帰る途中、地面にこれが埋まっているのを見つける。
これより、この領域が大学の管轄内であることがわかる。
また、元々地面に設置されていたであろうものが先端部分しか見えないことから、
かなり設置から時間が経過していると推測できる。

そのまま大学へ戻ろうと来た道を戻ろうとしたはずが、
どこかで道を間違えたらしく、これまでと違う風景が目の前に広がる。


自分はここに来たことがある、と直感的にわかった。 この果樹園のような場所は、二ヶ月前、地蔵を探し天皇陵へ行く前に来た場所だった。


5月18日に撮影したもの。
このときはちょうど一番奥の手前で引き返してしまった。
まさか大学内に繋がっていたとは誰も予想できない。


位置関係はこうなっている。


道の途中。広場のため池のそばにあった肥溜めに似ている。
あの場所はこの農家のものなのかもしれない。


21号館の裏と池が見える。
第6回大学探索レポートで調査した池横の小屋の裏には果樹園が広がっていたのだが、
それはここのものだったのだ。

それぞれ点で独立しているかのように思われていた場所が、線となって繋がっていく。
その様は、何事にも代えがたい喜びだった。
恐らく前期最後の探索となるが、それに相応しい内容になったように思う。
非常に長くなったが、以上を第8回探索レポートとする。