第2回大学探索レポート
【2015年4月28日】
前回の探索により地蔵の実在が確認されたため、探索は一つ先の段階へと進み、
「本当に地蔵は5つ存在し、五芒星の形に配置されているのか」
を検証することとなった。
仮にこれが真実だとすると、前の探索で発見された地蔵と対になる位置に地蔵が置かれている可能性が高く、よって次回の探索場所を前回とは正反対の道(画像・青ルート)に決定。

突然、3つの地蔵が発見されたのは翌朝のことだった。
青ルートを通学路としていたミイゾン部員の一人、せっさんによる発見で、
その雰囲気は午前10時頃であっても不気味なものであったらしい。

今回見つかった3つの地蔵をそれぞれ便宜的にA・B・Cとすると、画像の通り、
Aは大学に沿った道の途中に、BとCはAからも大学からもやや遠い場所に位置しているが、
BとCそれぞれの距離はかなり近い。
さて、ここで地蔵が一度に3つ発見されたことでミイゾンの中にいくつかの疑問が浮かび上がった。
まず最初に、B・Cの地蔵が噂の五つの地蔵に含まれるとすると、どうやっても五芒星の形にはなりえないということ。
次に、なぜこの方角にこれだけの数の地蔵が密集しているのかということ。
最後に、これまで発見された計4つの地蔵すべてが全く同一のものではなかったということ。
もっと具体的に言えば、すべての地蔵がその身を包んでいる赤い布について、
「布団のように被せられている」か「服のように着ている」の2パターンがあるということ。
現時点での私達の情報量だけで無理やりに解答するなら、一つ目はこれからの探索によっていくらでも覆りようがあるし、二つ目は地蔵Bの近くに神社があるためではないか。
三つ目に関してはオカルト的な理由というよりも、風習や地蔵に対する知識が必要なのかもしれないが、そのどれも憶測の域を出ず、未だ真実は定かではない。

地蔵A。赤い布は服のように肩に合わされている。
それぞれがそれぞれの中に深まる謎への好奇心ともどかしい気持ちを抱えたまま、
太陽は沈み、辺りに闇が立ち込め始めた。
構内にはサークル活動以外の人の姿がほとんど見られなくなった午後7時頃、
ミイゾンもまた、動き始めようとしていた。
PICO、ちくわの2人は、今朝発見された地蔵を実際にその目におさめるべく、夜の闇へと足を進めていった。


思わず尻込みしてしまうほどに、地蔵を包む辺りの雰囲気はあまりに異様だった。


地蔵B・Cの周辺。家屋が多いためか、比較的明るい。
夜の探索を終え、帰路に着く途中の電車内で、あることに気付く。さっき撮った写真のほとんどに、水色の物体が写り込んでいる。
それがもしカメラの傷だったなら、どの写真であっても同じ位置に、そして必ず写り込むはずだった。
しかしその水色は写真によって位置を変え、そもそも写り込んでいないものさえあった。
何より不思議なのは、写真が撮影された場所が変わっても写っているということで、
更に、ピントの合っていない写真ではそれもきちんとボケて写り込み、
たった1枚ではあったが、しっかり遠近法に則って小さく写っている写真もあった。
結局水色の物体が何を示していたかは、今も謎のままだ。

やや余談にはなるが、今日開拓された新たなルートの地図を書き足すため大学周辺の航空写真を見ていると、
地蔵Aを分岐点として二手に分かれている道の片方が、大学構内の1号館へと続くらしいことがわかった。
大学内にはいくつか構内地図が設置されているが、
それらの地図によって存在していなかったりしていたりするのがその1号館だ。
後味の悪い話も少なくないが、それはまた別の話としておく。

1号館へ続く道。
地蔵Aを少しでも先に行くと大学内に繋がるということ、ここで最も注目すべき点は、
やはり地蔵は大学を限りなく近い場所で「囲む」ようにして、意図的に配置されているということだ。
発見されている中で、五芒星の頂点になりうる位置に存在する全ての地蔵は大学に沿うように、どれもが大学「内」ではなく、「外」にある。
地蔵は大学を「囲んで」いなければならず、決してそれらは大学の内側に配置されてはならない。
もしそうだとするならば、なぜ地蔵たちは大学を「囲む」必要があったのだろうか?謎が謎を呼ぶこの探索の、究明の、向かう先は一体どこか。そして、どこへ行き着くのか。
私達に出来ることは、暗闇の中をただ手探り歩き回ることのみだった。
次回の探索は引き続き地蔵が五芒星に配置されている可能性についてとなるだろう。